ベトナムの“信仰と暮らし”──宗教が日常に溶け込むミニ世界

2025.11.06
文化・歴史

ベトナムという国を歩くと、宗教がどこか遠い概念ではないことに気づく。
寺院の鐘の音、商店の祭壇、教会の鐘楼、そして街角の祠。人々は「信仰」という言葉をあまり使わないが、その暮らしの中には確かに祈りの姿がある。

本記事では、宗教の種類や信仰の割合、食卓との関わり、そして旅行者が知っておきたいマナーまで──
ベトナムの“日常に溶け込む信仰”を見ていこう。


宗教の種類とベトナムの宗教的風景

ベトナムは54の民族が暮らす多文化の国で、宗教も地域によって少しずつ表情が違う。

北部(ハノイなど)では、仏教と先祖を大切にする風習がとても強く、家庭の祭壇や旧正月の行事が生活の中心にある。

中部(フエ・ダナン周辺)は、昔から宣教師が多く訪れた歴史があり、カトリックが根づいた地域も多い。
街の中で、寺院と教会が近くに並んでいることも珍しくない。

南部(ホーチミン〜メコンデルタ)は、カオダイ教やホアハオ教といった“この土地で生まれた宗教”が今も息づき、色鮮やかな宗教建築が旅人の目を引く。

こうした多様な風景が生まれた背景には、ベトナムの歴史も関わっている。
戦後の時代には宗教活動が控えめになっていた時期があったが、1990年代以降は自由度が高まり、伝統やお祈りの習慣がふたたび日常に戻っていった。

宗教が“信じる・信じない”ではなく、“生活の一部として自然に息づいている”のは、この歴史と文化の積み重ねによるものだ。


宗教の割合と「無宗教」という言葉の背景

統計上、ベトナムでは「無宗教」と答える人が大多数(87%)を占めます。

一方で、ベトナム政府の宗教事務委員会が2022年に公表した報告書(Religions and Religious Policy in Vietnam)によれば、2021年時点で宗教団体に登録されている信徒は約2,650万人(約27%)とされています。

この違いは、「信仰がない」というよりも、「特定の宗派にきっちり属しているわけではない」という意識の差に近いと考えられます。

寺院では若者も年配の人々も祈りを捧げ、家庭には祖先の祭壇があり、線香を供える習慣が根づいています。
こうした所作は、宗教というより“生活文化”として自然に続いてきたものです。

そのため、ベトナムの“宗教”は個人の所属や教義よりも、日常の中にある行いとして存在していることが多い。

この曖昧さこそがベトナムらしい宗教観であり、人々は「徳」や「縁」、「感謝」といった普遍的な価値を重んじ、それを日々の暮らしの中で静かに実践しています。


食卓・肉との関係から見る信仰のかたち

宗教は、食の文化にも穏やかに影響している。
ベトナムでは厳格な戒律は少ないが、仏教に由来する菜食文化が広く浸透している。

旧暦の1日や15日など、特定の日に肉を控える人は多く、街中の「chay(菜食)」レストランには多くの人が訪れる。
肉を断つことは修行や戒律ではなく、むしろ「心を清める」「穏やかに生きる」という精神的な意味合いが強い。

この菜食文化は宗教的というより“調和の文化”だ。
食卓を通じて他者や生命を敬う姿勢が、静かに息づいている。


旅行者・在住者が知っておきたい宗教マナーとタブー

ベトナムの宗教には厳しい禁忌はほとんどないが、礼儀として知っておくと良い習慣がある。

寺院では帽子やサングラスを外し、仏像より高い場所に立たない。
祈りの場では声を潜め、参拝者の前を横切らないようにする。
家庭や店先の祭壇では供え物に触れないのが礼儀だ。

旅行者がやりがちなNGもひとつある。
仏像や神像の前でポーズを取って写真を撮ること。
これは不敬と受け取られやすいので、撮影する場合は周囲に配慮しながら静かに景色として残すのが良い。

こうした所作は戒律というより“相手への敬意”。
その姿勢こそが、ベトナムの信仰文化を尊重することにつながる。


暮らしの中にある“信仰”としてのベトナム

ベトナムでは、宗教が日常の延長線上にある。
寺院や教会だけでなく、家の中の小さな祭壇、テト(旧正月)の行事、店先の祈り──
どれも人々の心にある「感謝と調和」を形にしたものだ。

国として多宗教でありながら、日本と同じく宗教対立が少ないのは、他者の信仰を受け入れる懐の深さが根付いているからだ。
信仰は強制ではなく、静かな敬意として暮らしの中に息づいている。

宗教という枠を超え、ベトナム人が大切にしているのは“つながり”と“思いやり”。
その穏やかな精神が、この国の魅力を支えている。

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編集者

ベトナム在住の現地調査員。街の息づかいと現地のリアルな声をお届けするリポーター。

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